飲食業A社(創業15年、社員7名)での出来事です。
創業者である社長は、60歳で2年後に引退を考えています。
以前の社長は、社員に対するパワハラを繰り返していました。ミスをすれば体罰を与え、他の社員の前で本人を罵倒する、気に入らないことがあれば社員に八つ当たりする、など経営者以前に人として問題がありました。
ある日、社長が突然倒れ、悪性の癌で余命1年の宣告を受けました。突然の入院のため、社長が独占支配する会社の経営は困難なものとなりました。後継者もおらず覚悟を決めた社長は、社員ひとりひとりと病床で面会しました。これまでの傍若無人な振る舞いを詫び、全経営権を社員に託しました。普段はぶっきら棒な社長でしたが、社員思いの一面もあり、ひそかに退職金の積み立てを行っていたことも打ち明けました。
その後も抗ガン治療により衰弱する中、社員に対する懸命の指導が続きました。すると今まで見ることのなかった社長の親身の指導に心を打たれた若手社員の一部が奮起し会社を廻しはじめたのです。
社長は治療の末、奇跡的に現場復帰を果たしました。復帰初日、全社員を前に、2年間にわたり会社を支えてくれた感謝の気持ちを涙ながらに伝え、今までの社員への振る舞いへの反省と、今後の経営方針について宣言しました。
⑴ 経営方針は毎月1回の社員会議で多数決により決め、担当者の裁量に任せる。万が一失敗してもすべての責任は社長が負うこと。
⑵ 社員は大切な家族であり、今後一切のパワハラ行為を行わないこと。
⑶ 62歳で引退し、経営権と本社物件は、在籍する社員へ法的要件を整えて無償で譲渡すること。
その後も、以前は社長が拒んでいた有給休暇の取得を社員が勤務シフトを融通し合いながら自由に消化し、社内の風通しを改善するために社員旅行を実施し、貢献した社員に対し表彰制度を導入するなど次々に手を打ちました。社長の遊興費に消えていた利益は、今では社員の賞与や福利厚生に還元されています。
会社の雰囲気は一変し、社長がいない間に離れていった顧客も徐々に取り戻し売上も伸びています。
当初A社には、入社時の労働条件通知書、労働契約書、誓約書、身元保証書もありませんでした。社長への恐怖心からトラブルも起こらないため、社長も導入を拒んでおり、契約関係の締結は思うように進みませんでした。が、コンプライアンスが問われる中、労使間の信頼関係をより強いものにするためすべての書類を整備しました。
毎月1回の社員会議を見ると、社員全員が積極的に発言し、会社の業績向上のために何が必要か談笑しながら話し合っています。社長は口を出したくなる感情を押さえて社員の意見に耳を傾けていました。退院後に誓った約束を守るためです。
労使関係がスムーズになった理由としては、次のことが考えられます。
① 社長は社員を信じて任せ、経営方針から脱しないよう見守ることに徹したこと。
② 合議制で意思決定し社員自らが行動することで、多くの社員が経営感覚を身につけたこと。
③ 社長が「兄貴分」として振る舞い、社員とのコミュニケーションが密になったこと。
とても同一人物とは思えない変貌ぶりです。社長は、死を覚悟したことで自己の振る舞いを反省しました。そして、優れた経営者の本を読み漁り、その考え方や生きざまを吸収しようと務めました。一番学んだことは、今までの自分にこだわらず自分を変え成長させることで、社員も変化し成長することでした。結果的に、会社の業績も右肩上がりとなっています。
Case&Advice労働保険Navi 2018年11月号拙著・拙著コラムより転載