創業15年目の整体業A社長(社員30名)から鼻息も荒々しく電話がありました。
「オープン時から共に働いてきたBマネージャーが独立する。就業規則には競業避止義務を謳っているが、近隣での独立のうわさがあり、それが本当なら困る。相談したい」とのことでした。
早速Bマネージャーと面談を行うと、うわさは本当で言い分は次の通りでした。創業時から新人教育してもすぐに辞めてしまい、5年・10年後の将来像が描けない、また、多大な貢献をしてきた自負があり、他社員が自らの意思で自分に付いてくるのは問題ないと考えているし、顧客も契約先を自由に選んでよいはずだ―。
この話を伝えると、A社長は、Bマネージャーへの精神面・運営面の支援が足りなかった、と省みました。ただ、Bマネージャーへの期待が大きかっただけに感情がついていきません。競業避止義務違反で訴えると言い張りました。
そこで、他業種のC社長から、競業避止義務に違反した社員に対応した際の体験談を話してもらう機会を設けました。ここで語られたポイントは、感情のままに退職者と対峙しても時間と労力が無駄になること、他社員にとって今後の営業体制の整備こそ経営者の使命であること、社長の対応は他社員が冷静に観察しており労使間の信頼関係の肝となること、でした。
無理やり聞かされている、といった態度だったA社長でしたが、C社長の親身な助言に徐々に態度を軟化させました。落着きを取り戻したA社長は、最も大切なことは社員が幸せになることだと気づいたようです。Bマネージャーの退職を認め、競業避止義務違反を問わないことにしました。
一般に、自社での勤務中の競業行為を禁ずる規定は比較的広く認められますが、退職後の行動は原則自由です。制限を課すには慎重な姿勢が必要となります。競業避止義務違反を問うには6つの条件があります。
➀企業秘密やノウハウなどを守る必要があるか、
②その社員に義務を課す必要があるか、
③競業が禁止される地域が限定的か、
④競業が禁止される期間が限定的か、
⑤禁止行為の範囲が広すぎないか、
⑥禁止行為を守ってもらう埋め合わせ(代償措置)が取られているか―。
A社の競業避止義務規定の有効性を整理すると、
➀②とも、特別な技術やノウハウが共有され流失することでダメージを被る可能性がある、退職後も秘密保持の義務を課す必要性はあると考えられる、
③は、1キロメートル圏内と限定していて広くないが、実際、Bマネージャーはこの圏内に出店予定であり、顧客がバッティングすることは明らかである、
④は、期間は1年間としているので限定的である、
⑤は、就業規則では「在職中に従事していた業務内容」「在職中に担当した顧客との取引」と範囲を限定し禁止行為は広くない、
⑥は、割増退職金などの代償措置は検討していない、でした。
このように、⑥の代償措置はありません。つまり、Bマネージャーに対してはすべてを満たしていません。事案ごとに判断されるため、必ずしもすべてを満たす必要はありませんが、有効性は低くなると考えられます。
競業避止義務規定は、自社の重要な情報・ノウハウなどを競合他社に流出させないために重要なルールです。就業規則や個別の誓約書に定めてできるだけリスクを排除できるように定めることは重要です。一方で、過度な義務を社員に課すと無効となるため、自社の利益と社員の権利のバランスを考慮することが必須です。
今回のように幹部社員が退職後に競業行為を行えばダメージを被ることでしょう。しかし、違反を追求し裁判となっても判例から勝つことは難しく、仮に勝訴しても売上げや利益はごく一部しか戻りません。また、他社員も社長が退職社員を追い詰める姿には違和感を覚えることでしょう。
退職後しばらくして競業行為に及ぶ例もみられますが、このような場合も含め、違反追及に固執することより、残された社員が働きやすい社内体制の整備に尽力することこそが、最優先の課題となることを忘れてはならないと感じます。社員の行動1つ1つへの対応から、社長の覚悟や度量が試されているのです。
第一法規『Case&Advice労働保険Navi 2024年5月号』拙著コラムより転載